本格的にデジタル一眼レフ(OLYMPUS E-420)を導入したのは、2008年7月にスイスはチューリッヒでの国際会議参加のため出張するのに合わせて・・・
昨年2010年早春には、始めたばかりのマクロ撮影のために、ライブビュー液晶画面の向きが自由に変えられるE-620をほとんど衝動買い。
マクロ撮影にはまりだした頃から、写真について少し考えるようになりました。
風景写真や人物写真、スナップなどと違って、マクロ写真の場合は
非日常的ともいえるほどの、人間の視界の何千分の一という小さな小さな領域を切り出す訳です。
さらに、アップにすればするほどピントの合う範囲は狭まり、撮影者が狙った対象物以外はほぼすべて「ボケ」の中に溶けてしまう。
およそ通常我々が目にする状況、環境はその絵の中に映し出されない・・・
逆に言えば、自分が主張したい(その写真の中で主役にしたい)ものだけを強烈に浮かび上がらせて、そのほかのモノをすべてただ1つの主役に対する引き立て役にしてしまうということです。
この極めて特異な状況をうまく使えば、写真という超現実的な手段によって、撮影者の心や気持ちを表すことが出来る、と考えることもできるでしょう。
また、状況説明がほとんどなされないということで、見る者側の印象、感受性に判断をゆだねる・・・というような作品に敢えて狙って仕上げることも可能でしょう。
しかし私は、ただただ肉眼では見ることの出来ないミクロの世界を大伸ばしにして目にすることの出来る、つまり「克明な超拡大写真」を得ることだけに熱中していたような気がします。
それは、私が根っからの理系人間であることも1つの大きな要因になっているのでしょう。
去年は、(懐が若干寂しいこともあり)中古やオークションを通じて往年のOLYMPUS OMシステムが誇るマクロレンズと周辺機器たちをひとつひとつ入手し、そのたびに新しい「超拡大映像」切り取りに驚喜し、ひたすら「近接、視野拡大」を追い求めてきました。
そろそろ道具も揃ってきて、昨年末にはレンズの逆付けによるマクロ撮影という新たな手段も加わり、撮影対象のみならず撮影条件(気象や時間帯、フラッシュやレフによる人為的な照明など)にも次々とあたらしい興味がわいて、実に楽しいです。
これからは、まだまだ拙い技術の研鑽も引き続き継続しながら、撮影する写真を「記録」としてでなく「作品」として扱えるような気構えで臨みたいと思います。
そこには、狙って自分の気持ちや感性を映像にする、という場合もあるでしょうし、偶然得られた映像をもとに後からストーリーを考え、構成するという場合もあるでしょう。
苦手な「タイトル」も、何とかしなければなりません。
まだまだ課題は尽きません。
自分の目が使えるうちは、光学ファインダーを通じたマニュアルフォーカシングを楽しみ、筋力があるうちは、手持ちでがんばりたいと思います。(カウントダウン入っているかもしれませんが)
もちろん、ライブビューやオートフォーカス、三脚の力を借りなければならないことも多々あるでしょうが、基本は「ちょっとした時間に気軽に撮るフォト」で行きたいと思います。
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